ボランティアカットを始めるきっかけVo,2【生い立ち】

最近夏休みに入った子供ちゃんがよく来てくれます。

暑くても元気モリモリですww

 

どうも吹田市千里山にて美容室Maifマイフをやってます小牧健太です。

 

Please call me Mackey!!

 

今日は以前書いたコチラ

ボランティアカットを始めるきっかけVo,1【インド一人旅での経験】

 

のVo,2【生い立ち】編です。

 

僕には美容師としてボランティアカットを始める事になったキッカケが2つあって

インド一人旅での経験

自分達の生い立ち

す。

 

今回は生い立ちについて書いていきます。

 

ボランティアカットに興味がある美容師さん

児童養護施設に関心がある人

 

なんかに読んでもらえるといいかなと思います。

 

僕達兄弟は児童養護施設に居ました

そうなんです。

特に隠したりしてないので知ってる人も多いのですが、僕達小牧兄弟は児童養護施設に居ました。

 

特別養子縁組という制度により、小牧となりました。

 

特別養子縁組(とくべつようしえんぐみ)とは、児童福祉のための養子縁組の制度で、様々な事情で育てられない子供が家庭で養育を受けられるようにすることを目的に設けられた。民法の第四編第三章第二節第五款、第817条の2から第817条の11に規定されている。

ウィキペディア(Wikipedia)より引用

 

なので結論から言うと

 

『児童養護施設に居た経験が、ボランティアカットを始めるキッカケの1つ』である。

 

という事です。単純ですww

 

で、これだと終わってしまうので更に深堀して皆様が気になるであろう事を予想して書いていきますね。

 

※因みに記憶に無いくらい小さい時の事なので、今の親に見せてもらった裁判所の記録や自分で見た戸籍謄本などの情報なので少し他人事みたいに聞こえるかもしれませんが全て僕ら自身の事です。

 

兄弟は本当の兄弟なの?

 

はい!多分、、、、、

少なくとも同じ母親から生まれているのは確実なので兄弟は兄弟で間違いないです。

只、父親に関しては確証はありませんので多分と付けざるをえないという感じです。w

 

DNA鑑定とかすればより具体的に分かるのでしょうがメンドクサイし、どうでもいいのでしません!

具体例を話すと、昔は顔も似ていないし性格も違うので(本当に兄弟なのかなぁ)なんて考えた事もありましたが最近は顔も似てると言われる事が昔より増えてきたしオデコの後退(ハゲ方)も同じ、人生の歩み方にも似通った部分があるのでやはり兄弟であろうという実感は感じています。

 

生みの親には会った事あるの?

ありません!

 

33年間会った事無いし、見たこともありません。

 

とはいえ、実際には母体から生まれてるので見たことない事はないのですが、、、

ナニブン記憶にないので顔も分かりませんの見たと言えないw。

 

児童養護施設の方が記録してくれていた写真などから、生後すぐに施設に入所していたようなのでそりゃ覚えてないですよ!

 

生みの親に会ってみたいか?

まぁタイミングがあれば!

ぐらいに僕は思ってます。

 

わざわざ何とかして会いたいとかは思わないですかね、というのも今の人生に満足しているし不満が無いので会ってどうするんだ?といったとこが正直な気持ちです。

 

あと事情はわからないですが生みの親が僕達には会いたくないそうなので無理に会うのもねぇw

 

10代の時は会ってみたいと思う時期もありました。

多分思春期、いわゆる中二病だったんでしょうね、あの頃は自分のアイデンティーというのを必死に探してたように思います。

自分はナニモノナノカ

僕は勝手にLGBTの人達の感覚と似てる所があるのでは、と思ってますが

本来の自分と、社会的な自分、

そのハザマでモヤッとする感情。

ただ今は自分が何者か?より

何者になりたいのか?という考え方に変わっていってます。

何歳まで居たの?

何歳まで施設に居たのか?という問いに関してはちょっと曖昧になります。

0歳から入所して

現在の親とは3歳ぐらいで出会ったらしいです。

そこからお試し期間的なのがあるらしく施設と現在の実家を行ったり来たり、

何歳で完全に施設を出たのかは定かでは無いですが、裁判所の記録では5歳の時に完全に戸籍が変更完了されたと記載されていたように記憶しています。

 

そして最初にお話しした特別養子縁組とは6歳未満の子供でないとできない制度です。

 

特別養子縁組の条件として子供が養子縁組できるのは、子どもの年齢が6歳になるまでと制限されている

ウィキペディア(Wikipedia)より引用

 

親に対してどう思ってる?

 

これに関しては生みの親と育ての親と両方の答えが必要ですね

 

生みの親:確かに昔は捨てられたような感情や、自分が不必要な存在なんて被害妄想にかられてた時期もありましたが、現在はそのような感情はまったく無く、生んでくれた事実に感謝の気持ちがあるのみです。

憎しみとかそうゆう負の感情はもう全くありません。

生むという選択自体が大きな決断だったと思うし、その事実が今の僕の幸せに通じているので本当に感謝しています。

アチラも幸せになってくれてたらOKです。

 

育ての親:一応便宜上育ての親という表現をしますが、僕にとっては純粋に親としか思ってませんし逆に血がつながってない事が違和感なぐらいな親です。

僕ら兄弟は小牧家に来なければ今程幸せになれていなかった気さえするぐらいに手をかけて育ててもらいました。

こんな考えになったのも今の親のお陰です。

多分一般的な家庭以上に辛く苦しい思いがあったと思います。

感謝×100ぐらいですかね。

 

まとめ

タイトルと内容が少し変わってしまってますが、

これが僕がボランティアカットをする事になったキッカケの1つです。

 

多分キッカケというのは人それぞれで、

人のキッカケを聞いた事が違う人のキッカケになったりする事もあるかなと思います。

 

なので今回はちょっと僕達兄弟の生い立ちについて書かせてもらいました。

 

因みに僕達兄弟はこの内容に関してかなりオープンでフラットなので何でも聞いてもらってOKですよ。

 

 

今日も読んで頂きありがとうございました。

 

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